2019年1月26日土曜日

2019年2月インド・バングラデシュ旅行(イントロダクション)

次回の旅行先はインドの北東部とバングラデシュがメインの予定。
求職活動が1月下旬に終了する予定で、それからは全くの自由な身になるので、少し長めの旅がしたいと思っていた。そんなある日、図書館でたまたま手に取った「バウルを探して」という本を読んだのがきっかけだった。この本はバウルと呼ばれるベンガル地方の吟遊詩人を探してバングラデシュをあちこち旅する物語。この本を読んで、過去の強烈なバングラデシュ体験の記憶がよみがえってきたのだった。。。

2000年当時のバングラデシュ・バーゲルハット

バングラデシュ1999

バングラデシュには過去2回行っているのだけど、どちらももう20年近く前になる。初めて行ったのは確か1999年だった。当時(今も)、中国的文化とインド的文化の混ざり具合の違いや移り変わりに興味があってタイ、ラオス、カンボジアやミャンマーなどの東南アジアの国々、そして本丸のインドを旅した私は、次の旅行先にバングラデシュを選んだ。

当時はバングラデシュに関するガイドブックは皆無で(ロンリープラネットはあったかもしれないけど入手方法が分からなかった)、図書館で見つけたバングラデシュ関連の書籍だけが頼りの状況だった。そんな中出かけたバングラデシュは、混沌とした中にも温かみのある素晴らしい国だった。

ダッカに降りたった私はダウンタウンのメインストリートと思われたナワブプール・ロードのホテルをしらみつぶしであたってみるも、外国人の宿泊は不可とのことで次々に断られ続けた。おそらく10軒くらいは断られたと思う。さらに下っていつの間にか通りの名前がジョンション・ロードに変ったころ、1軒のホテルにようやく泊まれることになった。

そこは学生の寄宿舎を兼ねているようなところで、学生といっても、すでに卒業しているけど就職先が見つからないような、実際はたぶん20代半ば~後半くらいなんだろうけどみんな髭を生やしているのでおっさんのように見える人たちと、毎晩菓子パンをつまみに「チャ―」を飲みながら楽しく過ごしたものだった。

その時の旅行ではほとんどダッカで過ごし、一度だけビーチで有名なコックスバザールに出掛けたのだったけど、着いたときはあいにく大雨で、バスで移動してホテルに泊まり、ただ帰ってくるだけの旅となった。それでも、バスでの移動のときは隣に座っていた乗客が休憩時も面倒を見てくれて昼食をごちそうしてくれたり、他の場所ではたまたま立ち寄った茶店でチャ―を飲んで代金を払おうとすると、だれかがすでに払っていてくれたり。。。

ベンガル人は好奇心旺盛で、誰かに道を尋ねたりするとたちまちインド以上に大勢の人に取り囲まれることになったりと、少し大変ではあったけど、押しつけがましくも裏心のない好意に何度も助けられながら過ごしたのだった。

そして食事。もうあまり覚えていないのだけど、ほとんど毎朝食べていたシャブジ(インドでいうところのサブジ=野菜(カレー)、バングラデシュではサシスセソがシャシシュシェショになるようだ)がおいしくて、帰国してから味の再現に挑戦したものだった。例のものずごい下痢に見舞われて最後の数日はダウンしていたけど、それも後になってみればいい思い出だ。

バングラデシュ2000

そして帰国後しばらくしたとき、現在は休刊中の「旅行人」という雑誌にガンジス川のデルタ地帯を「ロケットスチーマー」という船で巡る旅が紹介されたのだった。ロケットスチーマーは、船の両サイドにある水車のようなパドルを回して進むいわゆる外輪船で、私のような40代の人の中には、アニメ「トムソーヤの冒険」のエンディングテーマでミシシッピ川を航行している姿をおぼえている人も多いのではないだろうか。

そんな前時代的な乗り物が観光用ではなく、普通に人々の足として運行されているバングラデシュ。早速翌年の2000年もバングラデシュに出掛けることにした。前回泊まったホテルで大歓迎を受け、さらに前回知り合った別の人のお宅にお邪魔して名物のビリアニをごちそうになったあと、早速ロケットスチーマーのオフィスに向かった。

その時はお盆休みの時期ということもあり、ほとんど旅行者のいないバングラデシュでは珍しく同年代の日本人旅行者とチケット売り場で鉢合わせ、幸運にも2等客室をシェアすることができた。その人もおそらく旅行人の記事を見てやって来たのだろう。ロケットスチーマーはまる1日以上かけてダッカからバングラデシュ西部のクルナに向かう。日中は船べりでぼーっと川イルカが呼吸のため水面に出てくるのを探したり、港での荷物の積み下ろしを眺めてのんびり過ごした。

同乗の旅行者は途中遺跡のあるバーゲルハットで下船したが、私は終点まで乗ったのち、さらに進んでインド国境を越え、列車でコルカタ(当時はもちろんカルカッタ)に向かった。イスラム教国のバングラデシュでは街中ではほとんど男しか見かけないのだけど、国境を超えると同じベンガルでも景色が一変し、女性のカラフルなサリーがことさら鮮やかに見えたのが印象的だった。

上の写真はその乗り合わせた旅行者から帰国後に送ってもらったもの(当時私はデジカメは持っていなかった)。それから19年たった現在、調べてみるとまだロケットスチーマーは運行しているようだ。ロケットスチーマーに乗るかどうかはわからないけど、今回は当時とは逆に、コルカタから入ってバングラデシュを旅行し、バングラデシュ北部または東部の国境を越えて再びインドに戻り、インド東部のチベット文化圏、シッキムにも立ち寄りたいと思っている。果たしてどんな旅になるのだろうか。。。

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